ブッククラブ

時間がすぎるのがとにかくはやい。平日は家でラジオを聴きながら仕事をして疲れたら眠って気づいたら週末になっている。遠い先になんとなく目標を決めないとなんとなく毎日を過ごしてしまいそうでこわいけど、何もしたくないときは体が休息を欲しているときらしいから休んでいいと思う。

 

3月にはいったあたりくらいから自分の中で本への熱が高まっていて、1日でかなり読み進められるくらいの読書体力が持続できている。その一方でドラマや映画はほぼ見ることができないでいる。ノマドランドやミナリなど事前に気になっていたものは映画館でみるようにしているが、ここのところ面白そうな映画が劇場公開されておらず、前に比べたら映画館へ足を運ぶことが少なくなったかもしれない。

 

最近人と会うということを特に意識するようになった。頻繁に人と会いたいという意味ではないが、人と会うことで自分をすり減らすリスクのことばかりを考えてしまって、会わない選択の方を選ぶのはあまりにもったいないというのがここ最近の自分の考えである。いろんな人と会ってみたいという気持ちを自分が少しでも持っているというのは改めて驚きだ。コロナの影響もあり近所付き合いはもちろん会社の付き合いなども減っているように感じる昨今、以前よりも「他者と交流するかどうかを自分で選ぶことができる」という社会になってきた中で、あえて不要な人付き合いを避けるようになった人も多いように思う(SNSを見ている限りにおいて、ということだが)。むしろ自分もこれまでは不要な人付き合いを避けたいと考えていたのだが、ここ最近それでは心身に良くないと考えるようになったし、他人との交流を自分が欲していることに気がついた。不特定多数と会いたいというわけではもちろんないが、例えば読書会など自分と関心が似た人とは是非会ってみたいと思うようになった。特に綺麗な服を着て人と会う喜びは他では得られないものがある。機会が会ったら会う方を選んでいきたい。

所感のようなもの

古着がみたくて、吉祥寺と高円寺を歩いてまわった。いろんな色の服、いろんな形の服があって手にとってみるだけで嬉しかった。自分はベージュのフリースを着て、MM6の黒いトートバッグ、八分丈くらいの黒いプリーツパンツ、ぺったんこの黒い足袋ブーツという服装だった。高円寺の古着屋にいったら店員さんがこっちの服装を見て、イッセイミヤケの白シャツ(フロントにフリルみたいなのがついてる)とマルジェラのジャケットを勧めてくれてうれしかった。いいのがあれば買う気持ちでいたけど、いっこに決められなくて何も買わなかった。だけどこれでよかった気がする。買うのも楽しいけど探してる間も楽しいから。揚げたてのドーナツをいくつか買って歩いて帰った。

 

ここのところフルーツと野菜を毎日食べるようにしている。食べるようにしているというか、気づいたら食べている。自分のからだはきっちり3食たべなくても過ごしていけるような気がしているんだけど、夜お腹が空いてしまうからそれが問題。別に長生きしなくてもいいと思っているのに、偏った食事をしないように気にしているのがなんだか変な感じがする。

 

他の人と遊ぶ上でスケジュールを合わせるのがむつかしいと感じる。仕事をしていると休日がだいたい週に2日あるけどその2日は貴重だし充実したものにしたいと考えるのが自然。となるとその休日の過ごし方をどうするかということは仕事をしている人にとって、かなり大事なのだ。あまり先の予定を立てるとそのころにはその気分じゃなくなっている可能性もあるし、自分がその人と遊びたいと思っていても、相手もその気分かどうかはわからない。遊ぶ日程が決まっても、何をするかも重要。カフェにいくのか、美術館にいくのか、映画館にいくのか、ご飯をするのか。いくつか並べてみたけど、休日の過ごし方って紋切り型で、似たようなパターンになってしまってつまらない。うろおぼえだけれど、森茉莉のエッセイの中で「日本人のデートというと着てる服から誘い方までみんな同じだ」と書いてある箇所が印象的だった。突飛なことしてみたいけど、そんなことはこころの通った仲でないとできない。

 

そんなことを考えていたら自分の欲望も誰かに与えられたものなんじゃないかって思えてくる。海にいきたいと思うのも、きれいな服を着たいと思うのも、花束を買いたいと思うのも、アールグレイをふうふう冷ましながら本の頁を捲りたいと思うのも、誰かの受け売りなんじゃないかって思えてくる。それならそれで構わないんだけど、自分を形作るものは一体なんだろうとずうっと考え続けてる。けどいまのところさっぱりわからない。