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去年の7月にメンタルヘルスが悪化して休職申請を出すも受理されず会社を辞めた。そのときのことはよく覚えていないけど次の就職先が決まらないまま退職を決めた気がする。辞めたはいいものの先が見えない不安な気持ちを抱えて日々を過ごしていた。失業手当が減っていくなかいくつか会社を受けたけど会社員として働く自分に全然ピンとこなかった。或る会社は面接時にバンドをしている旨を伝えると担当者からこの仕事にもし就いたら土日も仕事なのでバンドする余裕はなくなるかもしれませんねと言われた。自分の人生は誰にも規定できないはずと思いすぐ辞退。12月に登録してもらえそうな会社が偶然みつかったのでその勢いで開業届をえいやっと新宿の税務署に提出、晴れてフリーランス翻訳者となった。イラストレータをやってる親友が相談にのってくれたのとバンドのみんなが応援してくれたことも後押しにつながった。それが去年のこと。

 

今年。トライアルにいくつか合格し何社か登録してもらえたものの、仕事が全く入ってこなかった。失業手当も底をつき中野のアパートを引き払い5月に岩手へ移住。引っ越してからの生活はというと、家族からサポートを受けている罪悪感と、周りに友達が全くいない環境が毎日ほんとうにくるしかった。図書館に行き英字新聞を読むか翻訳会社の無償トライアルに応募するかの日々で、ただただ時間が過ぎるだけというのは自分を焦燥させ鬱屈させた。社会の役に立ちたいというのは大げさだが、なにかに貢献したい気持ちが自分のどこかにあるのだとここで自覚した。社会とのつながりが必要だった。なんども自死が頭を過ぎった。人生において希死念慮とは一心同体で自分にとってそんなに遠い存在ではないのですっかり慣れてしまったがいま生きていることが奇跡と思う。散歩しているときに出会ったヨソの近所猫、ミー子と遊ぶのが唯一の楽しみだった。おしゃべりで懐っこく、たくさん噛む。雪が降り始めてからなかなか遊べなくなったけど、自分を救ってくれたのがミー子。夏になり大手の翻訳会社のトライアルにたまたま合格。メインの取引先はありますか、とウェブ面接で問われたので恥ずかしながらありませんと答えた。今後は弊社をメインの取引先にしていただけたらと思いますと言ってもらえてそこから今日に至るまで途切れることなく仕事を発注してもらえている。そういうことで今年9月ころようやく経済的に自立。電話や対面を一切しなくていいことや好きな時間に起きて好きな時間に翻訳ができて好きなときに寝っ転がれる今の生活がいまだに現実なのか信じられないがたしかにここにある。

 

自分はこれまで2つの会社を経験し両方で休職して家から出られなくなったりもしたけど友達のおかげで復活できた。1社目の休職のときは朝気づくと包丁を手に持ち自分は自死寸前で、そのとき高橋まつりさんの過労死ニュースをたまたま目にして踏みとどまった。面識もない高橋まつりさんに助けられたことを今でも忘れていない。職場や学校で生き苦しさを感じている人をsnsで見かけたときは、共に生きましょうと心の中でそっとつぶやいている。いまは来春の東京移住に向けて賃貸や家具をネットで見ている。旅立つ前にミー子に挨拶しないと。では