女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない

返事が返ってこなかったりそもそも会話したくない気持ちが文から伝わってきたりして落ち込むだけだからLINEやDMを送らない。とiphoneのメモに記したものの今暮らしている地域には話し相手やともだちがひとりもおらず毎日とにかく孤独と戦っていて、1日のうち何回も誰かに連絡したくなってはそれを我慢するというのを繰り返している。余裕がなく自分のことばかりで情けなくなるが書斎の窓越しに見える電線には白黒の鳥が毛づくろいをしていて忙しそうだったのが救いだった

今日は大好きな海外ドラマを見た。あまりに好きなドラマなので一気にみないようにしていて、時間をおいては少しずつ見ている。今日見たエピソードでは、女性が自分の思い通りにならないとわかった瞬間、暴言を浴びせその場を去る男子高校生が描かれていた。本人が自覚していないマイクロアグレッション、マンスプレイニング、グルーミング。トキシックな男性性やマッチョな父親を目の当たりにするたびに自分の中に同居している(ねむっている)暴力性を意識する(すくなくともしようとしている)。自分はOSでなく血の通った人間なのでアップデートできないかもしれないけどあとから振り返ったときに自分で納得できるような行動をする

夕方のニュースで小田急線殺傷事件の被告による「僕だけが貧乏くじを引いた」というコメントが流れていた。犯罪をした人のニュースを見かけるたびに、じぶんがそうだったかもしれない可能性と今後そうなるかもしれない未来の両方を想像している。成功している人の自己啓発本ポジショントークよりも被告のコメントの方が胸に迫るということだけが確かだ。今の自分にできるのは古今東西の本や映画を見て自分の価値観をなんどもスクラップアンドビルドすることだと思う、思うが見たい本や映画ばかりが増えてく一方で、まったく減らず落ち込んでいる。今日の成果といえば英語の発音練習をしたくらいで、こんな感じでいいだろうかと思いながら毎日が終わる。焦りみたいなのは以前と比べて減ったが、ないわけではない

最近すきになったリナサワヤマさんの曲に「Comme des Garcons」というのがあってじぶんもギャルソンの大ファンだからこの曲を知った時はとてもうれしかった。それから自分をエンパワメントしたいとき繰り返しきいて元気をもらっている

https://www.youtube.com/watch?v=uv5i5yg-zNc

こないだ久しぶりに大好きな新宿伊勢丹ギャルソンへ行ったとき、21awブラックコムデギャルソンのワンピースが再販されてて、お金に余裕ができたら絶対買いたい!と思った。それとメゾンミハラヤスヒロのたくさんポッケ(アップリケみたいなばらばらなデザイン)がついた新作ベストがめっかわだったのでとても良いと思った。自分が一番うれしいことのひとつは洋服のことを考えているときだったりする。ホカオネオネのスニーカーもいずれ手に入れたい では

ホームラン

NITRODAYのホームランを聞いて歩いていたら涙が出てきてストレスなのか苦しさなのかわからないけど気持ちを表に出さずに抑圧していることに気がついた。我慢の限界だった。相変わらずお金とか生計をどうたてるかということばかり考えていて、いまのところうまくいっていないし先行きが見えない。なんとか前向きに考えようとしているけど気持ちばかりがあせる。胸のうちを明かすことなんてできるはずがない。はやく独り暮らしにもどって自立したい。いま接客とかバイトとかを自分の能力でこなせるのか自信がない。制作もすすめたいけど正直行って余裕がない。映画も本も触れる時間をつくれなくてかなしい。

しっくりこない

12月15日夜。今日は何をやってもしっくりこなかった。歩いてみたり、音楽を聴いたり、歌ってみたり、電話してみたり、お布団に潜ってみたり、アニメを見たりしてみたけど、落ち着かなくて漠然とした不安に苛まれていた。気温が低くて身体が冷えていたのもあるかもしれない。こういう日は本当に珍しくてとても焦った。とはいえ少しずつものごとが前に転がり始めている実感はあって人間万事塞翁が馬。いまようやく今日の自分を冷静にみることができているけれど、「うまくいかないときに頼る友達がいないということに気づいてしまってもう自分はだめかもしれない」とかそういうことばかりを考えてしまっていた気がする。うまくいかない日は今日を何もしない日にすると切り替えるのも大事だ。31年自分をやっているのにそのへんがあまり捉えられてないというか、そろそろ理解してほしい。

SNSばかり見てしまっていて、かといって本やドラマ、映画を見る元気もないしインターネットから離れるということは本当にむつかしい。脳を休めるということは、気合いを入れないとできない。人と会うという手段があるけれど、人に連絡するのにも二の足を踏んでしまう。

お金のことばかり考えてしまう。お金のことを思い出すと身動きがとれなくなる。頭の切り替えが下手なのと、適度にいい加減になるってことが必要な気がしている。はやくお金を稼いで自立した生活を送りたい。お金を早く返したい。家族に心配させたくない。

焦らずにいきたいけれど、もう少し目処がつくまでがんばらないといけない。実家にも帰りたいけどそれはまだ先。自分をリラックスさせる術をもっとみつけないと。それと自分の気分を明るくさせる方法。無気力なわけではなくむしろやりたいことはたくさんあるから大丈夫そう。

 

 

じいちゃんげんきか

11月13日夜。気分の浮き沈みが激しい。気分の浮き沈みが激しいということを自分で認識しているだけ救いがある。昨日は渋谷LUSHに行った。はじめてバンドで企画を行った場所だった。壁が綺麗で、居心地が良い空間だった。演者のみなさんをフロアからみていてものづくりってすごい音楽をつくることってすごいとおもった。エネルギーをたくさん浴びてがんばろうと思った。終演後勇気をだしてはなしかけた。はなしかけてよかったと思った。挙動不審だったかもしれない。自分が自意識過剰だと思った。たいていの人からしたら、話しかけることや話かけられることなんて些細なことで、自分みたいに勇気を振り絞ったり覚悟を決めたりして向き合うものではないのだろう。あらためて自分は会話が下手で苦手だと思った。思いたく無いがそうなのかもしれないという現実をつきつけられた。これまでは人見知りではないと自分に言い聞かせて振る舞ってきたけど、会話がうまくないとここ最近思い始めた。

 

生きることや死ぬことについて、真剣に考えることが最近多い。本当は考えてなどいなくて、薄っすら生や死を意識しているだけなのだが。不確定な未来がとにかく怖い。心配で胸のあたりがざわざわする。不安であることをだれかに話すこともできない。躊躇する。こういうとき、快楽だけ求める(ギャンブル、風俗など)ことができたら楽なんだけれど自分のばあいそういう風にはならない。むしろ健康だったりなるべく丁寧に生きようとしたりそういう方向に向かう傾向がある気がする。ネガティブな部分と向き合っても仕方ない。かといっていまむりやり明るく前向きに生きるのも違う気がしている。早く寝て朝から活動してリズムをつくりたい。

 

殻にこもると家族に心配をかけてしまうからなるべく連絡はとるようにしているけれど、家族とのやりとりをストレスに感じることがあったりするのでそれも適度がいい。じいちゃんが生きられなかった時間を精一杯生きるって決めたから死にたいなんて考えてる暇はない本当は。あと、思っていることを素直に話せばいいってもんでもないなと最近思う。状況や相手を見て、場合によっては自分の言おうとしていることを柔軟に変えていくことが大事だって思った。

LAIBACH

7月の28日は木曜日。ここのところ夜に眠れないので午前いっぱい惰眠を貪っている。時間があるというのも困りものなのかもしれない。一日の中で気分が浮いたり沈んだりを何回も繰り返していて、こういうのは久しぶりというか初めて経験する。先が見えないってことに全て端を発してるんだけど。前向きに考えたり、今ある状態を楽しむように頭を切り替えようとしてもなかなかこれがむつかしい。かといって人に相談するのも、きっと理解されないだろうと思うからできない。友人を頼る大切さを十分にわかっているつもりなんだけど、最終的に自分だけで乗り切ろうとしていてなんだか情けない。友達がたくさん必要とかそういうことではないんだけれど、自分がダメにならないよう助けてくれるのは友人だと心のどこかで思っている。だけどいい人間関係を構築したりそれを保ったりすることがどうも苦手らしい。


最近洋服、とりわけその組み合わせだとかファッションが特別にたのしい。ライブをするときは毎回違う格好をしようと考えていて、そのおかげで次はどんな服を着ようという思考で街を歩いている。好きな洋服やアクセサリーを買うというのは働くいちばんの動機になり得ると思う。そういえばこないだはじめて洋服の発表会に行った。お客さんは結構複数で来ていて視線が怖かった。実際そんなに見ていないのかもしれないけれど居心地がとにかく悪かった。正方形の部屋で、隠れ場所がないから。しかし洋服はどれもかわいかった。冷静に眺められたかというとそうではなかったけれど、行く前にジャージを買うって決めていたから手縫いのかわいいやつを見つけられてすごく嬉しい。届くのは先だけど楽しみができて良かった。夏の暑い時期に秋冬服を買うのは本物の服好きだって思っていたけどついに自分がやってしまった。


こうして文を書いてみるとアクチュアルな言葉しか出てこなくて、どうもダメだ。記録みたいな文。小説とかには向いてないかもしれないけけど挑戦したいという気持ちはある。いざ書き出してみると気持ちの整理にもなるし自分にはやっぱりコレだなと思う。ふとしたときに馬鹿みたいな気分になって生きるのが厭になってそういう気分になること自体にもガッカリするんだけどたしかに嬉しいことや楽しい瞬間もあって生きることを諦めちゃいけない気がしている。



2022

7月12日の夜だ。雨が降っていて蒸し暑いが部屋の中は涼しい。最近読書と映画鑑賞がなかなかできていないことに気がついた。コムデギャルソンからまた真っ白いノートが届いたが、前回もったいなくて何も書けないまましまってあるんだった。せっかくだしやりたいこととか思いつくとおりに何かかいてみることにした。明日は早起きする。

 

ここんところ早めに布団に入るようにしている。寝付くのは結局0時過ぎるんだけど起きてても仕方ないし、電気を消して横になってラジオを聴いている。聴いているというよりは、会話をほとんど聴いていないので音を流しているというかんじ。もっといろんな音楽を探していきたいんだけど探すのにも体力がいる(くやしい)。それと曲を作るとき既存の曲を聴いてしまうと真似してしまうから(欽ちゃんがネタ作りについて似たようなことを言っていた)、最近は意図的に他の音楽を聞かないようにしている。特にバンド音楽はシャットダウンしている。

 

夏用にへそがみえる丈が短いシャツと、コーチのベルトを古着で買った。デニムと一緒に着たりして夏が好きだと言いたい。前は冬が好きとか言って陰鬱な顔して歩いてたから中身も見た目の印象のままでほんとうにつまらない人間だった。年中浮かれてる人間をこれから目指す。この夏はライブが3本も決まっているから、せっかくだし友達をたくさんつくりたい。1年前とかに自分が書いた文章を読み返したら、バンドが組みたくてモヤモヤしてて苦しそうだった。いまは仲良しの友達と音楽できてて毎日楽しい。4年勤めた会社もようやく辞めたし、やったことないことをたくさん経験できたら良い。映画をたくさん見て本をたくさん読む。

 

 

鳴り止め

ここ何年かバンドの音楽が聴けなくなった。ラジオを聴いてるときに流れてくると再生を止めるか、音量を下げてしまう。自分の性格として一度失敗したことに対して人一倍気にしてしまうようだ。過去のことをくよくよしないというのをモットーにして生きてきたつもりだけど、音楽に関しては違うみたいだった。思えば中学のときからずっと夢中で音楽を聴いたりギターを弾いたりしていた。その音楽に対してうまくいかなかったり失望したりしている今が受け入れられなくなっているのかもしれない。他に代えられないものなので、自分のなかからなにかが無くなった感覚を抱えている。いつかもやもやすることなくバンドを聞けることがくるかはわからないけどその日がくるまでジッとしているしかない。

 

てれびのおばけという舞台を配信で見た。主人公の部屋に昔テレビのプロデューサーだったというおばけが住みついており、話が進むにつれて彼がどんな人物だったか、どうして命を落としたのかということが浮かび上がってくる。セリフのなかで「じぶんたちは、生きるということを毎日選択している。生きる、生きる、生きる。生きるを選択しているように、死ぬを選択することだってできるんだ。」というものが印象に残っている。4人の俳優さんは全員演技が上手で、内容も面白かった。発せられる言葉のひとつひとつが魂のこもったものだった。

 

テッド・チャン「息吹」に収録されている「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」という短編がおもしろかった。自分のなかに今後残り続ける作品だと思う。AIアバターが人間に寄り添いペットにように飼うことが当然の世界が描かれており憧れてしまった、それがたとえ人間にあらかじめプログラミングされたものであったとしても。デジタルペットの友達ができたらどんなにいいことか。自分のこの価値観は、小学生のときにニンテンドー64でどうぶつのもりをやりはじめたときに芽生えたのだと思う。また、テッド・チャンの小説にはどの作品にも自由意志というモチーフが隠れており、自律と他律ということを考えた。ただ最近思うのは、人生には自分でコントロールできない要因が多くあり、うまくいかないときはそういうときもあるということにしてコーヒーでも飲みながら本を読むのが良いということだ。鬱々としてからっぽな気持ちのまま過ごしている。いつかこの気持ちが晴れますように。